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曹操の頭痛をやわらげた名医の華佗は、なぜ身を滅ぼしたのか?

ここからはじめる! 三国志入門 第70回

関羽を治療した『三国志演義』での活躍

中国の荊州中央病院に建つ華佗と関羽の像(筆者撮影)

――華佗は刀を動かして(関羽の右ひじの)皮と肉を切り裂くと、骨はすでに青く変色していた。骨を削るガリガリという音に、みな真っ青になって顔をおおった。しかし、関羽は酒を飲み肉を食らい、談笑しながら碁をさしつづけた。

 

 上記は『三国志演義』で、華佗が関羽の右ひじの手術をする様子である。西暦219年、関羽が樊城(はんじょう)攻めのさなか、右ひじに毒矢を受けたためだ。実はこのエピソード、正史『三国志』にあり、関羽の「超人」ぶりを示す記述として今に伝わるが、正史と「演義」で異なる点が2つある。

 

 それは正史では手術を受けた時期(年代)も、執刀した医者の名前も不明という点だ。この2点が「演義」で創作されたのは、次のような意図がある。

 

 華佗はその後、頭痛に苦しむ曹操に召し出されるが「斧で頭を切り開き、病巣を取り除く」という療法を告げ、曹操に投獄され世を去る。そして曹操も自分の病を治せず、ほどなく没する。関羽が堂々とひじの手術を受けたのに対し、曹操は拒絶して華佗を殺すという両者の対比がなされているのだ。

 

 そもそも腕と脳の手術では随分とハンデがあるし、曹操の気持ちもわからないではない。が、「演義」では曹操の悪漢ぶりがより際立っている。羅貫中は、華佗を史実より10年以上も長生きさせてまで、生前の恨み(?)を晴らさせたようにも読める。

 

 その後、華佗は伝説的な存在として語り継がれた。

 

 1804年、江戸時代の日本の医師・華岡青洲(はなおか せいしゅう)が、世紀を超えて華佗の名を表舞台に出す。青洲は華佗以来、記録上では初とされる全身麻酔の手術を成功させたのである。「日本の華佗になる」と決意した彼はトリカブト、当帰(とうき)、白芍(びゃくし)などの薬草を混ぜて華佗の麻沸散を再現し、成功したという。華佗が後世に残した影響の大きさが分かる。

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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